銀行で働く強盗:第4話「二重生活」

サスペンス

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第4話「二重生活」

朝六時。黒田は銀行員の顔でアパートを出た。

同じ建物の住人とすれ違う。
「おはようございます、田中さん」
「おはようございます」

完璧な銀行員の笑顔。しかし、部屋に戻れば、彼は別の顔になる。

銀行では、黒田は理想的な新入社員を演じ続けた。真面目で、謙虚で、向上心がある。誰もが彼を信頼し始めていた。

「田中君は本当に優秀だ」
休憩室で、同僚たちが噂していた。
「あんなに真面目な人、最近珍しいよね」

黒田は、自販機でコーヒーを買いながら聞き耳を立てた。計画は順調だった。

しかし、二重生活は疲れる。

ある夜、黒田は行きつけのバーに立ち寄った。ここでは、彼は「黒田」として振る舞える。

「今日も遅いね」
マスターが声をかけた。
「ああ、仕事が忙しくて」
「銀行員も大変だな」

黒田は苦笑した。マスターは彼の「表の顔」しか知らない。

カウンターの隅で、見知らぬ男が新聞を読んでいた。その視線が、時折黒田に向けられる。

黒田は警戒した。尾行か?

男は新聞を置いて立ち上がった。黒田の横を通り過ぎる際、小声でつぶやいた。

「気をつけろ。山田が動いている」

協力者の一人だった。

黒田は動揺を隠しながら、ウイスキーを飲み干した。山田支店長が何かに気づいている。それは分かっていた。問題は、どこまで知られているかだ。

翌日、銀行で異変が起きた。

「本日、臨時の防犯訓練を行います」
山田の声が館内放送で流れた。

職員たちがざわめいた。予定にない訓練だった。

「強盗が侵入したという想定です。各自、マニュアル通りに行動してください」

訓練が始まった。警報が鳴り、職員たちが慌ただしく動く。黒田も指示通りに動いた。しかし、頭の中では別のことを考えていた。

これは本当に訓練なのか?それとも…

訓練中、山田の目が常に黒田を追っていた。まるで、彼の反応を観察しているかのように。

訓練後、鈴木が黒田に近づいた。

「田中さん、顔色が悪いですよ」
「少し疲れているだけです」
「無理しないでくださいね」

鈴木の優しさが、黒田の胸に突き刺さった。彼女は何も知らない。自分が裏切ろうとしている相手の一人だということを。

その夜、黒田は決断を迫られた。

計画を中止するか、続行するか。

協力者たちは続行を主張した。
『もう後戻りはできない』
『ここまで来て諦めるのか』

しかし、黒田の中で何かが変わり始めていた。

銀行員としての日々。同僚たちとの交流。特に鈴木の存在。それらが、彼の冷徹な心に小さな亀裂を生んでいた。

「俺は一体、何をしているんだ」

鏡に映る自分の顔を見つめながら、黒田はつぶやいた。

田中太郎なのか、黒田なのか。もはや、自分でも分からなくなっていた。

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