前回の話

第6話「本に閉じ込められた物語」
願書堂の片隅で、私は奇妙な本を見つけた。他の本と違い、鎖で縛られていた。
「それには触らない方がいい」
老人が警告した。
「なぜですか?」
「その中には、ある作家が閉じ込められています」
私は驚いて本を見つめた。表紙には「永遠の物語」と書かれていた。
「作家が閉じ込められている?」
老人は重い口を開いた。
「彼は売れない作家でした。そして『永遠に読まれる物語を書きたい』と願った」
「それで?」
「願いは叶いました。彼自身が物語になることで」
私は鎖に触れた。冷たい感触が指先に伝わった。
「今も、この中にいるんですか?」
「ええ。永遠に物語を紡ぎ続けています。読む人がいなくても」
その時、鎖がかすかに震えた。まるで中の何かが出ようとしているかのように。
「時々、こうして震えるんです」老人は悲しそうに言った。「きっと、外に出たいのでしょう」
「助けられないんですか?」
「無理です。これが彼の願いなのですから」
私は本から手を離した。永遠に読まれる物語。それは作家にとって夢のような願いのはずだった。
「でも、誰も読まないなら意味がないのでは?」
「そこが願いの皮肉なところです」老人は本を撫でた。「彼は『読まれる』ことを願いましたが、『読者がいる』とは願わなかった」
突然、本のページが勝手にめくれ始めた。中には、びっしりと文字が書かれていた。そして今も、新しい文字が次々と現れていく。
「すごい」私は息を呑んだ。「まだ書いているんですね」
「永遠に書き続けます。それが彼の運命です」
文字を見ていると、それが助けを求める叫びのように思えた。
『誰か読んでくれ』『ここから出してくれ』
でも、それは私の想像かもしれない。
「この本を買うことはできますか?」
私は衝動的に尋ねた。
「なぜです?」
「せめて、読んであげたい」
老人は少し考えてから、首を振った。
「やめておきなさい。読み始めたら、あなたも物語に取り込まれるかもしれません」
「でも」
「彼の願いは『永遠に読まれること』です。読者もまた、永遠に読み続けることになるでしょう」
私は本から目を離した。鎖は再び静かになっていた。
願いとは、こんなにも恐ろしいものなのか。自分の願いすら、自分を縛る鎖になってしまう。
私は自分の『最後の願い』の本を取り出した。まだ白いページが、今は恐ろしく見えた。
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