銀行で働く強盗:第2話「隠された素顔」

サスペンス

田中の本名は、実は田中ではなかった。

狭いアパートの一室で、彼は鏡に向かって微笑みの練習をしていた。
「おはようございます。今日も一日よろしくお願いします」

何度も繰り返す。銀行員らしい爽やかな笑顔を作るのは、意外に難しい。

机の上には、複数の身分証明書が並んでいた。運転免許証、健康保険証、学生証。すべて精巧な偽造品だ。その中から「田中太郎」のものを選び、財布にしまう。

彼の本当の名前は黒田。かつては腕利きの金庫破りとして、裏社会では知られた存在だった。しかし、時代は変わった。現金を狙う古典的な強盗は、もはや時代遅れだ。

「内部から攻める。それが一番確実だ」

黒田は半年前からこの計画を練っていた。まず、大学の卒業証明書を偽造した。次に、架空の経歴を作り上げた。そして、銀行の採用試験を受けた。

面接官たちは、彼の「誠実そうな」人柄に感心した。実際、黒田は誠実だった。ただし、それは犯罪に対してであって、社会に対してではなかった。

銀行での二週間目。黒田は着実に信頼を獲得していった。

「田中君、君は本当に真面目だね」
佐藤が感心して言った。
「いえ、まだまだです」

謙虚な態度も計算のうちだった。

ある日の昼休み、黒田は屋上で一人、サンドイッチを食べていた。そこへ、女性行員の鈴木が現れた。

「あら、田中さん。こんなところで」
「ああ、鈴木さん。少し風に当たりたくて」
「私もです。銀行の中は息が詰まりますから」

二人は並んで座った。鈴木は明るい性格で、職場のムードメーカー的存在だった。

「田中さんって、ミステリアスですよね」
「そうですか?」
「ええ。プライベートの話をあまりしないし」
「特に話すようなことがないだけですよ」

嘘だった。黒田には話せない過去がたくさんあった。

その夜、黒田は再び銀行の見取り図を広げた。金庫室への最短ルート、監視カメラの死角、警備員の巡回時間。すべてのデータが頭に入っている。

「あと一ヶ月」

彼はつぶやいた。一ヶ月後に、大口の現金輸送がある。その情報を掴んでいた。

翌日、山田支店長が黒田を呼んだ。

「田中君、君の仕事ぶりは素晴らしい。このまま頑張れば、将来は幹部候補だ」
「ありがとうございます」

山田の目が、じっと黒田を見つめていた。まるで、仮面の下の素顔を見透かそうとするかのように。

「ところで田中君、君は銀行強盗についてどう思う?」

突然の質問に、黒田は一瞬動揺した。しかし、すぐに平静を装った。

「時代遅れだと思います。今はサイバー犯罪の時代ですから」
「なるほど。確かにそうだね」

山田は微笑んだ。しかし、その目は笑っていなかった。

黒田は確信した。この支店長は、何かに気づいている。計画を早める必要があるかもしれない。

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