「新入社員の田中です。よろしくお願いします」
朝礼で挨拶する青年は、どこか場違いな雰囲気を漂わせていた。スーツは真新しいが、着こなしがぎこちない。ネクタイの結び目は曲がり、靴は妙に汚れている。
支店長の山田は、人事部から送られてきた履歴書を眺めながら首を傾げた。一流大学卒、成績優秀、面接での評価も高い。しかし、実物を見ると違和感がある。
「田中君、君は大学で何を専攻していたんだね?」
「経済学です」
「ほう、それは頼もしい。ところで、君の趣味は?」
「えーと、読書とか…映画鑑賞とか…」
答えが曖昧だ。まるで履歴書に書いてあることをそのまま読んでいるようだった。
配属先は融資課。先輩の佐藤が指導係になった。佐藤は几帳面な性格で、新人教育には定評がある。
「まずは基本的な書類の見方から教えるよ」
「はい、お願いします」
田中の目が、金庫室への扉に一瞬向けられた。佐藤は気づかなかったが、山田はその視線を見逃さなかった。
昼休み、田中は一人で弁当を食べていた。同期入社の者たちが誘っても、「まだ仕事に慣れていないので」と断る。
「変わった奴だな」
同僚たちはそう言い合った。
午後、田中は熱心に仕事をこなした。いや、熱心に見えるふりをしていた。実際は、銀行内の構造を観察していたのだ。監視カメラの位置、非常口の場所、職員の動線。すべてを頭に叩き込んでいく。
「田中君、なかなか飲み込みが早いね」
佐藤が褒めた。
「ありがとうございます。早く一人前になりたくて」
退社時刻、田中は最後まで残って「勉強」していた。山田は遠くから彼を観察する。
「支店長、まだお帰りにならないんですか?」
警備員の声に、山田は我に返った。
「ああ、今帰るよ」
帰り道、山田は考えた。あの新入社員、何かがおかしい。しかし、具体的に何がおかしいのか説明できない。
翌朝、田中は誰よりも早く出社していた。
「おはようございます、支店長」
「おはよう。早いね」
「はい、少しでも早く仕事を覚えたくて」
完璧な模範解答。だが、それがかえって不自然だった。
一週間が過ぎた。田中は順調に仕事を覚えていった。いや、覚えたふりをしていた。彼の本当の目的は、別のところにあった。
金曜日の夕方、山田は田中のデスクの引き出しを覗いた。そこには、銀行の見取り図らしきメモがあった。各部屋の配置が細かく書き込まれている。
「これは…」
山田は直感した。この男は、ただの新入社員ではない。
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