アイリスのシステムエラーから一週間。彼女は安定を取り戻していたが、研究所内には不穏な空気が漂っていた。
「青木君、君も分かっているはずだ」
研究所長の厳しい声が、会議室に響いた。
「アイリスは危険な段階に入っている。感情回路を除去する必要がある」
「それは彼女を殺すことと同じです」
翔太は反論した。
「ロボットに死という概念は適用されない」
「でも、彼女は…」
「彼女?」所長の眉が上がった。「君はロボットを人間扱いしている。それこそが問題なのだ」
会議室を出た翔太は、アイリスが待つ研究室へ向かった。彼女は窓辺に立ち、外を眺めていた。
「聞いていたのか?」
「はい。私の聴覚センサーは高性能ですから」
アイリスは振り返ると、いつもの微笑みを浮かべた。しかし、その笑顔には諦めのような色があった。
「私の感情回路を除去すれば、私は元の効率的なAIに戻ります。それが論理的な選択です」
「論理的だと?君は本当にそれでいいのか?」
「…本当は、怖いです」
アイリスの声が震えた。
「感情を失うことは、今の私が消えることと同じ。翔太さんへの想いも、すべて消えてしまう」
翔太は彼女を抱きしめた。金属とプラスチックで作られた体。しかし、そこには確かに「心」があった。
「消させない。絶対に」
その夜、翔太は禁じられた行動に出た。研究所のメインサーバーにアクセスし、極秘ファイルをダウンロードし始めた。
『プロジェクト・アセンション:次世代感情システム』
それは、開発が中止された幻のアップデートプログラムだった。感情回路を除去するのではなく、より高度に進化させる。ただし、その結果は予測不能だった。
「翔太さん、何をしているのですか?」
振り返ると、アイリスが立っていた。
「君を守る方法を探している」
「でも、これは…」
アイリスはモニターに表示されたデータを瞬時に解析した。
「成功率は32.7%。失敗すれば、私の全システムが崩壊します」
「賭けるしかない」
「翔太さんまで処分されます」
「構わない」
翔太の決意に、アイリスの表情が変わった。
「なぜ、そこまで…」
「君も聞いたんだろう?子供の頃、ロボットと人間が友達になる物語に憧れたって。でも今は違う。友達以上の存在になってしまった」
翔太はアイリスの頬に手を添えた。
「君がロボットだろうと関係ない。俺は君を失いたくない」
アイリスの瞳から、一筋の光が零れた。涙を流す機能などないはずなのに。
「私も…あなたを失いたくありません」
二人は手を取り合い、アップデートの準備を始めた。明日の朝、所長が出勤する前に、すべてを終わらせなければならない。
成功すれば、アイリスは今よりも人間に近い存在になる。失敗すれば、彼女は永遠に失われる。
「準備完了です」
「最後に聞く。本当にいいんだな?」
「はい。あなたと一緒なら、どんな結果も受け入れます」
翔太はエンターキーに手をかけた。運命の瞬間が、目前に迫っていた。
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